MENU

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

BRAHMAN

2017.04.05UPDATE

2017年04月号掲載

BRAHMAN

Member:TOSHI-LOW(Vo)

Interviewer:石角 友香

-重いけどスピード感のあるバンドってだんだんいなくなってる気がします。

それはドライヴする人がいないからだと思う。ドライヴっていうのはBPMに囲まれた世界では出ないもので。ズレてるとか遅いってことではないから。

-たしかに。"不倶戴天"が意味するところって、許しがたいけれども同じ空の下に生きているみたいなニュアンスじゃないですか。常時思わないけど、何年も感じてることというか。例えば毎回選挙のたびに敗北感しか残らなかったり、自分に対する苛立ちもあるし。

大人はそうあるべきなんですよね。自分に対する苛立ちにもなるっていうのが最後の落とし前なわけであって。それって正しくないですか? 吐いた唾が自分に回ってくる、だから言わない方が得なんだっつうことで、みんな口をつぐむわけです。でも俺は、その逆をやりたいんです。吐いた唾をもう1回飲むから、俺はどんどん言うよ、そのために怒りが必要だったら怒ればいいし。ただ昔と違って、怒りの反対側も知ってる、愛も十分知ってるよって。だったらそれもちゃんと伝えるし、それは自分の中で矛盾してないから。しかも1曲の中でもそれが表れるというか、怒りサイドだけじゃない、優しさサイドだけじゃなくて、結局、自分のやったことは最後、自分に回ってくるっていうことが曲の中でわかると思う。それは怒ることを恐れないっていうことでもあるし。


古臭く聞こえてもいい。これぐらいの音じゃないと"不倶戴天"って気持ちは乗せられない


-今はSNSを使ってストレス発散してるつもりで、回り回って自分がつぶされてる人もいっぱいいるし。

覚悟決めてない人が多いだけなんじゃないですかね。"どうせいつか死ぬのにな"っていう感覚が俺は強いから。恥かこうが傷だらけになろうが、どうせ死ぬんだから、死ぬことより"なんもない"ことはないんだから、だったらいろんなものを残していけばいい。下手でも撃てばいいと思ってる方だから。

-そういう時代にあって、すごく生々しく聞こえたんですよ。電波じゃなくて生身の人が発信している曲だなと。

だから、自分としてもそういうアンテナになってるんじゃないかな? もちろんここ何年かの便利なこと、デジタルなこと。で、俺らは別にそこの付き合いを遮断してるわけじゃないし、そういうバンドの子たちとやるし。で、やっぱすげぇなともいいなとも思うこともいっぱいあるうえで、"生身には敵わないよ"と思ってる部分もいっぱいあるから。なんか、それが自分の感じる表現にしたらこういうことになってるんだと思うし、それがすんげぇ古臭く聞こえてもいいし。でも、これぐらいじゃないと乗らねぇなというか。なんかもう、アメリカのヒット・チャートをコピペしたみたいな歌に、"不倶戴天"って気持ちは乗せられないですよね。

-コピペでは無理でしょうね。この曲の展開の中で新しいなと思ったのが"笑い 終える"の部分で、メロディがパッと開けるところが太陽の光が射すようでいいなと。

うん。だからさっきも言ったように、どっちもあるってことだし。断面だけ見て"俺、こうだから"ってことでもないから、やっぱそこも入れてかないと自分の中で嘘になっちゃうって部分もあって。俺が善人で他が悪人なわけじゃないから。

-すべての人の中に両方あるわけで。

でも、それを出すのってすごく難しくて。怒りだけっていうのも違うし、世の中で流れてる"みんな善人なんだ"みたいな曲もクソだなと思うし。なんか自分なりに人間としてまとまったものを1曲1曲出していきたい。それをもちろん切り取ってんだけど、切り取り方ももっと広く深くというか。友達が死んでどんなに泣いたときでも、やっぱり腹は減るもん。でも、友達が死んだ歌は歌えても、腹減るって歌詞はなかなか入れられないでしょ? "そのあとで飯食ったんだよね"とは入れないでしょ? みんな食ってんだよ、ほんとは。だけどそれをどういうふうに入れるかっていうことだと思うし、それが生きてくことだと思うし、生きてくってことは、そんなに一辺倒で終わることじゃないから、このすげぇハードな曲の中に、すごくポップな部分がポンと入るし、意味が出てくるし。それが嘘じゃなく聞こえればいい。"さっきまで怒ってたのに、なんで笑うんだよ?"って言われたら、"いや、泣くし、笑うし、怒るんだよ、人間は。それが瞬間瞬間で変わるし、それがすべてにおいて人間なんだよ"って。友達が死んでも飯は食うっていうのは、生きてねぇとわかんないことだからっていうことです。

-善悪ではなく、それが人間が生きているということだと。

俺は"生きてく望み"みたいなことをできるだけ歌わずに生きてたので、余計、それがわかるというか。でも、もう生きてくことは本能レベルなのか、身体レベルなのか望んでるわけで、その中でどう考えても不幸になるより、幸せになりたいと願ってる自分もいるわけだから、それを隠してしまっては意味がないし。かと言って、幸せになるためだけですべてが納得する人生を送ってるわけじゃないっていう。別に今終わってもいいんだ、本当。一瞬で、ボロ雑巾みたいにここで死んでもいいんだよ。だけど、その先に生きていけるんだったら、もちろんこういう望みもあるよっていうことなので。それは矛盾してないし、矛盾してない生き方をここ何年かでできてんのかなと思う。自分の強さにもなっていくし――強さと自信とか言うとなんか偉そうに聞こえるんだけど、それは日々の積み重ねでしかなくて。できるだけ嘘つかないとか、でもできるだけちょっとだけつくとか(笑)。