MENU

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

KEMURI

2015.06.10UPDATE

2015年06月号掲載

KEMURI

Member:伊藤ふみお(Vo) 津田紀昭(Ba) 平谷庄至(Dr) コバヤシケン(Sax) 田中'T'幸彦(Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

-音楽的な激しさよりも、喋りがいけるような。

伊藤:そういう意味でのエンターテインというか。曲調は激しいんだけどね。だから、"ああ段々と変わっていくんだな"って思って観ていたけど。アンダーグラウンドと、そういうメジャーな人気のあるバンドの差がどんどん開いていって、今に至ってる感じもある。

-時代ごとに変化はありますね。90年代当時は、KEMURIとしてはいろんなバンドと対バンしていた感じですか。

伊藤:どうだろうな、いろんなバンドとしていた方じゃないですかね。ワンマンでソールド・アウトしちゃうような状況になってからは、自分たちがいいと思うバンドとか、それこそアンダーグラウンドでそんなに動員のないバンドとも一緒にやってもらったりしていたし。みんな知らないと思うけど、"かっこいいでしょ?"っていうバンドと一緒にやるようにしていたから。いわゆる、BACK DROP BOMBとかBRAHMANのような、人気のあるバンドとはあまりやってなかったかな。

津田:ハイスタなんかも、再結成のときに初めて。

コバヤシ:2012年のAIR JAMで。

津田:BRAHMANも解散間際のころだったし。唯一、COKEHEAD HIPSTERSとか、BACK DROP BOMBくらい?

-状況的にはバンド同士で凌ぎ合うような、いいライバル関係っていうのはあったんですかね。

伊藤:なくはなかったんだろうけど、あまりそういうところまで俺は考えなかったかな。どうやってKEMURIで新しい音楽を作るかっていう、バンド内にどんどん目を向けていった気がする。特に2001年とか、2002年とかのあたりはね。アルバムでいうと、『千嘉千涙』(2000年9月リリース)や『emotivation』(2001年10月リリース)を録ったころは、目新しさというものをバンド内で探してたので、他のバンドがっていうのはなかったんですよね。

-なるほど。そのときは、より歌っていうものにも重点が置かれたころですね。

伊藤:日本語の曲が増えたりもあったしね。

-バンドとしてはトライの時期だったんですか?

伊藤:どうだろうな、難しいね。トライはトライなのかな。

コバヤシ:僕としてはトロンボーンがいなくなったのは、大きかったですね。

伊藤:そうだね。スカ・バンドって人数が多いから、古今東西そうだと思うけど、バンド・メンバーの入れ替わりは3ピースのバンドに比べたら多いですよね。それで結構、翻弄されている部分はあるのかもしれない(笑)。

-では改めてベスト・アルバム『SKA BRAVO』についてうかがっていきたいのですが、今回はどういった基準で選曲をしていったんですか。

伊藤:そもそもの話が、前のレーベルに入るころからKEMURIの歴史をよく知っている人間が、"今、KEMURIすごくいいから、今のKEMURIのメンバーでライヴで盛り上がる代表曲を再録したらどうだろう"という話があったんです。"20周年だし、KEMURIを知らない人たちにも、今のKEMURIで代表曲を聴いてもらいたい"と言われたのが最初なんですよね。そこから、選曲はみんなで相談したり、レーベルの人が考えてくれたりもして。

津田:ベスト・アルバムとしては、解散のときにも出してるじゃないですか。選曲に関しては、それともあまりかぶらないようにっていうのがあったりとかね。

-代表曲であり、ずっとライヴではプレイしている曲ばかりですが、改めてレコーディングすることは曲を捉え直すような作業もあったんですか。

伊藤:再結成以降は、思った以上に新しいバンドやってる感が強いんです。T(田中'T'幸彦/Gt)なんてオリジナル・メンバーだしずっと知ってるんだけど、ほんとに新しい気持ちでやらなくちゃっていうのはあった。いい意味でも悪い意味でも、予定調和の中でやれないっていうかね。『SKA BRAVO』を録ったときも、それはすごく感じたよね。