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INTERVIEW

Pay money To my Pain

2013.11.08UPDATE

2013年11月号掲載

Pay money To my Pain

Member:PABLO (Gt) T$UYO$HI (Ba) ZAX (Dr)

Interviewer:ムラオカ

-約1年前でしょうか。ベスト・アルバム『Breakfast』リリース直前のインタビュー以来ですね。その際、PTPの取材独特の空気感はそれまでも味わっていましたが、それとはまた違った空気が流れていました。ベスト・アルバム・リリース当時バンド内は一体どういう状況にあったのでしょうか?

一同:(沈黙)

PABLO(以下P):(少し時間を置いてから)あれいつでしたっけ?

-去年の9月末から10月頭ぐらいでしたね。

P:ツアーをキャンセルする直前?

-キャンセルする前ですね。

T$UYO$HI(以下T):まぁ不安絶頂な感じでしたね、Kは。ツアーのリハは進めてましたがバンド内は“どうなってしまうんだろう?”って雰囲気があったかな。

P:Kが不調だったので、早く良くなってほしいってみんなの気持ちもあったし、Kも恐らく同じ気持ちでいてくれていたので、少しずつ前向きになってきたところもあって……。Kはもしかしたらすごくしんどかったかもしれないけど、そういう姿を見せようとしてたのかなと。例えばツアーをやることによって、また何かが戻ったりしたりするんじゃねぇかなって話もしてたりして。う~ん、なんだろう……。やべぇなって気持ちはもちろんあったし、でも俺の気持ちとしてはなんとか引っ張っていかなきゃなっていう気持ちはありましたね。

T:Kは何があっても“ツアーは俺はやるから。決まってるライヴは俺はやるから”って言ってた。

-前回のインタビュー中でもT$UYO$HIさんは“どんどん攻めていくよ”っておっしゃってて、暗にK君のことを鼓舞しているようにも感じました。

T:ライヴやツアー前にリハがあるだけで、毎日みんなでスタジオに入ってるわけではなかったので、結局1人でいる時間が長ければ長いほどあいつは考えてしまうのかなっていうのもあって、ツアーが始まってしまえば4人でいるし俺らはKは多少は良くなるのかなって思ってたりもしてた。ただ、あいつはやるって言ってたけど、“最近体が重い”って言ってたので、実際歌うことに関してはベストの状態ではなくて、自分の思い通りには歌えなかったり、ステージができないことに対する葛藤っていうのもきっとすごく抱えていたと思う。“思ったような自分じゃない”って葛藤があったんじゃないかなって気がします。

-ここ数年、節目節目のライヴを拝見していましたが、K君のパフォーマンスが落ちたとか、声が出てないとかそういうことはあまり感じなくて、基本的にはヴォーカリストとしても右肩上がりで成長しているのが見えていたので、彼の悩みというのが理想を高く持ちすぎるあまり高みを目指し過ぎているという部分もあったのかなと想像していたのですが?

T:一昨年まではいまいち煮え切らないっていうかやり切ったって感じを出せてなかったけど、去年に入ってからのライヴは良かったですからね。“LIVE 40”で良いスタート・ダッシュを切って、その後も“今年は良い調子だな”ってライヴは途中まで続いていたんですよね。そこから一旦ライヴの本数を減らして制作期間に入った辺りから思い通りにいかなくて葛藤が大きくなっていきました。

-K君にとってはライヴでパフォーマンスするよりも制作面での悩みが大きかったのかもしれないですね。

T:すごく印象的で俺が覚えてるのが、“LIVE 40”の映像の編集の時だったのかな?みんなで集まった時にその映像を見てKが“これ俺だよね?これっていつだっけ?”って言ったんですよ。“今年の正月の後ぐらいだよ、K”って言ったら“あぁ、そうかって”……。“人って半年ぐらいでこんなに変わるんだなぁ”ってことをあいつは自分の姿を見て言ってたな。“少年のようだな、俺”って。体重も増えてしまって、あいつはそういうことも気にしてたかなぁ。

-ZAXさん、寡黙に徹していますがいかがですか?

ZAX(以下Z):う~ん、何て言っていいか分からないというか……。まぁでもT$UYO$HIが言ってた感じですかね。実際あいつが感じてたことが何だったのかってすごく考えるんですけど、それってあいつにしか分からないことで。でもそういう常に考えたり苦しんでる姿は見てたんで。支えることに僕は徹してましたね。

-K君が去年12月30日に亡くなられる前の段階では、もともと3月にアルバム・リリースを設定していたと聞いていましたが、その後、アルバムをリリースするかしないかなど様々な葛藤があったと思います。実際にリリースに至るまでのその辺りの経緯を教えていただけますか?

P:お葬式を終えて、P.T.Pの首脳陣が集まって話をした時に、“P.T.Pはこれからどうするのか?”と聞かれて“どういう意味ですか?”って聞いたら“例えばヴォーカルを入れてやるのか、例えばPABLOが歌ってやるのか”って聞かれて、“いやそれはないよ”って3人とも答えて。そんなことありえない、P.T.Pはもうこれでおしまいだって。Kがいないから俺たち3人だけで決めていいことなんてなにひとつない、だけど、バンドとしての責任は果たしたいし、ケジメはつけたい。そういう意味でアルバムは完成させたいし、ケジメをつけるためにイベントなのかライヴなのか分からないけど何かやるべきだと俺は思うって話をして。そこからいろいろみんなで話をして、もちろんいろんな意見が出たし、いろんな迷いもあるし。“Kだったらなんて言うかな?”って答えのない問いを繰り返して……。“あいつだったらこう言うと思うんだよね”とかそういうことを繰り返しながら、今年の12月30日のイベントのことだったり、アルバム制作だったりを話し合って決めていった感じですね。

T:でも12月のイベントのことよりも、今制作中のアルバムを出そうという考えは早い段階で一致してて。それで歌録ってない曲はどうするのか、その曲は入れないのか、インストで出すのか、ヴォーカルを入れて出すのか……。ゲスト・ヴォーカルを入れてやろうっていうのも割りと早い段階で決まってたかな。ただ、“じゃあそれは誰にする?”っていう。