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INTERVIEW

DIE MANNEQUIN

2009.12.07UPDATE

2009年11月号掲載

DIE MANNEQUIN

Member:Care Failure(Vo&Gt)

Interviewer:KEE01

-この度は『Unicorn Steak』にて日本デビューおめでとうございます。今のお気持ちを聞かせてください。

そうね、まずこのアルバムは2 つのEP のコンビネーションで2 つの違う時期に作曲し、録音したものなの。アルバムの後半部分は『How To Kill』というEP になっているの(「Autumn Cannibalist」から始まる4 曲)。『How To Kill』は私が孤立していた時、言えば、その時にはバンドのメンバーがいなかったから1 人で録音したの。だから、全ての楽器のパートを書いて、弾いたんだけど、JFK(DEATH FROM ABOVE 1979)にドラムを少し手伝ってもらったわ。いつもはドラムのパートも自分で書いているのよ。最初から最後まで頭からつま先まで音楽を創造することに手を抜きたくないの。『How To Kill』に収録されている4 曲は私自身そのものなのよ。JFK とスタジオに行き、最高のEP を2 人で作ったの。
『Unicorn Steak』の最初の4 曲は、『How To Kill』が出来上がってから1年も経たないうちに完成した曲達なの。『Unicorn Steak』の最初の方に最近の曲を入れたのはこの4 曲のアイディアやコンセプトは、『How To Kill』に収録されている曲よりももっと最近に作られたものだから、一番最近の曲は私が今いる場所を象徴しているのよ。この曲達は2nd EPの為に少し洗練させたの。へヴィ・ヒッティングトーンを良くして、私がソングライターとして持っている違う面を見せたいと思って作ったの。
そして、この2nd EP の4 曲には2 人の違うプロデューサーが関わっているの。「Slaughter Daughter」には、「Do It or Die」、「Saved by Strangers」、「Upside Down Cross」、「Lonely of a Woman」が収められていて、最初の半分はIan D'Sa がプロデュース、そして次の半分はJunior Sanchezがプロデュースしているの。ソングライターとして、私は『Slaughter Daughter』で大きく成長したと思っているわ。音的にも私が欲しかったヘヴィで洗練された音も表現できたしね。たとえばもしあなたがこの曲を聴いたときに下着で踊っちゃうような感じだったり、もしくはあなたが前のボーイフレンドやガールフレンドにうなり声で叫ぶことができたら、DIE MANNEQUIN ソングテストには合格ね。ということで、2 枚の全く異なるEPをくっつけて、『Unicorn Steak』と名付けたの(2 曲のボーナストラックは「Hand In Hand」とずいぶん昔に書いた「Empty's Promise」という曲)。
私は、今フルアルバムをリリースすること対してハッピーで、心から解放されていて、勇敢で、恐れ知らずな気分なの。でも、同時に私は、基本的に全く異なった曲達を試験的に混ぜて1つのアルバムにしてしまうことに対してハラハラしていたのも本当なの。でもね、恐怖を感じることはあなたを勇敢にしてくれて、あなたを頭やハートを最初に押してくれるのよ。私の場合はそれは、『Unicorn Steak』であり、得体のしれない恐怖を取り除かなかったら、この2 枚のEP を一緒にリリースすることにはならなかったと思うの。
すごく長ったらしい答えになっちゃったけど、でもこれがあなたと読者へのアルバムについての詳細よ(笑)。

-メンバーやバンドの簡単な自己紹介をお願いします。

もちろんよ!バンドはパーフェクトなメンバーを探して何回か変わっているの。そんなに前のことじゃないけど、Jack Irons(PEARL JAM、THE RED HOT CHILI PEPPERS、NEIL YOUNG)がドラマーとして在籍してたこともあったわ。彼は本当にナイスな人だったわ。今現在のメンバーは、Care For Care Failure(私のことよ。ハハ)、リードギターと作曲、リード・ヴォーカルを務めてるわ。( F の意味は、Anthony "Useless" Bleed が名付けた私のペットの名前Finoでもあるのよ。でも、このことは、私とあなたと読者だけの秘密ね!ハハ!)Anthony "Useless" Bleedがべース、バッキング・ヴォーカルを担当しているわ。

-出身地がカナダのトロントとの事ですが、地元の音楽シーンはどういった盛り上がりをみせていますか?

実際にトロントには、ほとんどシーンと呼ばれるものはないの。私が入りたいと思うシーンもないし、古き良き時代じゃないの。良いシーンというのは、通常小さな街からスタートして、大きさに関係なく、期待していたようにそれがメインとなるのよ。もちろん、ニューヨークのCBGBなんかがあるけど、それは90年代のことだからね。たとえば、誰が1989年以前にシアトルなんて街にものすごいバンド達が出てくると思った?
私がここで"シーン"と呼ばれるものに対して問題だと思うのは、多くの人たち/ミュージシャンが、シーンに対してひどい態度でいることなの。彼らは裏切られ、嫉妬され、または他のバンドに嫉妬して、そのことが彼らを有名にしたりするの。ひどいものだわ。高校生のギターみたいに。
それが、私が自分のレーベル"How To Kill"を作った理由の50%になるの。私のレーベルは世界を支配する巨大な帝国のために作られたわけではないの。それは、ただ私の友達や彼らの音楽の家であり、場所であり、自由な雰囲気の場所でライヴをしたり創造したりする場所なの。共通のテーマやトレンドは、全て愛と音楽だということ。(なんだか私がこうやって説明すると、ヒッピーみたいに聞こえない?ハハ!)しかし、本当に私はシーンのスターや自分が道徳的に正しいと思っている人たちにうんざりしているの。彼らは、私が変な格好でキャッチーなコーラスを書くから(一体何なの???)といって2回も見るの。
私は、私が作曲した曲(想像してみて)の中でキャッチーなコーラスがあるからと言って、いきなりあっという間にたくさんの友人がいなくなったのを覚えているわ。でも、インディー・ロックスターやヒップスターにとって、突然私が彼らにフィットしなくなったというのは十分な理由だったの。彼らは、私が彼らが初めて耳にするようなバンド、BLONDE REDHEADやSONIC YOUTHなどを紹介した人達なのよ。今では彼らのお気に入りのバンドとなっているような音楽も私が紹介したのに、私の作った音楽のことで、私を見捨てたの。これは、典型的な"派閥"で、あまりにも小学生のようで、私にとってはちっとも笑えなかったわ。
私が入りたいと思うシーンは、間違いなく、90年代初頭のシアトルとオリンピアなの。でも、初期のLAパンクシーン、そしてパンクシーン後のロンドンからニューヨーク、LAなどもいいわね。同じ頃のSONIC YOUTHやGREEN CHAPELがいたワシントンもいいなと思うわ。
私は友達で兄弟とか姉妹がグループとなって、これがキーワードなんだけど、こういう人たちがトロントやほかのたくさんの大きな町で"シーン"としてなりすますことに嫌悪感を抱くの。彼らはエリート主義の人たちで、彼らは他の人たちを避けるの、特に彼らのやり方と違う人を。こういうことに吐き気を覚えるわ。これはたくさんある理由の中でイライラさせることの1つだわ。