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INTERVIEW

HEAD PHONES PRESIDENT

2009.10.01UPDATE

HEAD PHONES PRESIDENT

Member:Anza(Vo) Narumi(Ba)

Interviewer:ムラオカ

-今作をリリース後、南米の方に行くんですよね?

A:実はまだアナウンスされていないんですけど、インフルエンザの問題で4月に延期されることになったんですよね。10月のアニメフェスだったんですけど、他でまたメタルフェスのお誘いをいただいて、それをくっつけて長い期間南米の方に行くことが決定してもうすぐアナウンスはすると思うんですけどちょっとまだ発表できない状況なんですけど。

-南米というと熱狂的で凄いイメージがありますよね?

A:南米というとメタル系の本拠地じゃないですか?オーディエンスは耳も肥えてるし、良くて当たり前の状況だと思うんですよね。基本的には自分たちはどの国に行っても変わらないんですけど、南米に行くのが初めてなのでアクシデントも楽しめるように、今回はただのライヴではなくフェスの出演ということもあるので私的にはワクワクしていると言うか、どんとこいや!みたいな感じでいるので、凄く楽しみですね。

-少し基本的なことからお聞きしたいのですが、AnzaさんがHPPで活動し始めるきっかけを教えてください。

A:まずは私がソロで活動していてソロのライヴツアーをするに当たって、バック・メンバーが必要ということで、そのとき所属していた事務所の方がミュージシャンを集めてくれていたんですね。私はそのメンバー・セレクトに対してノータッチで事務所に任せていたんですけど、そこに連れてきたのがうちのリーダーのHiroで彼からいろんなバンドのCDを聴かせてもらったんですね。
私はそれまでそんなにヘヴィロックという世界を知らなくてどっちかというと安室奈美恵ちゃんとかのダンス・ミュージックものを聴いていたんですね。そして自分がポップロックを歌うということになって、それからもっともっと自分自身が全身で表現できるものをやりたいって考えてHiroに相談したらこんなバンドもいるんだけどってどんどん紹介されて、曲作りをするっていったときに彼のスタジオに行ったらHiroの弟のMarがいたんですね。その時に知り合って、それからいろいろな音楽を聴かせてもらって、私が“実はこういうバンドをやりたいと思うんだけど”って相談したら、彼も“実は僕もそういうことがやりたかったんだ”ってことで、“じゃあやろうか”ってやり始めたんですね。実は最初はメンバーにキーボードがいたんです。ドラムとベースがいない段階では全くHPPとは違うバンド名でやっていたんですけど、もっとヘヴィでエネルギッシュで感情をぶつける音楽をやりたいんだってことで、大きな問題があったわけではなかったんだけど、自然な流れでキーボードが脱退して、ドラムが見つかってという形でHPPはスタートしたんですね。それから何名かメンバー・チェンジがありましたね。
実はNarumiは他のバンドのギタリストだったんですけど、私たちは彼のバンドとも対バンをしていて、ちょうどその頃一緒に活動していたベースが家庭の問題でどうしても活動を続けられないってことになったんですが、実はその一週間後にニューヨーク公演が決まっていたんですね。これはキャンセルできないからサポートでも良いから何とかベースを見つけようってことになって、ギターのHiroが何を考えたか、Narumiに“ベース買った?”って・・(笑)

N:いきなりHiroから電話かかってきて、“リハ入るよ!”って言われて、“何のリハですか?”って聞いたら、“いいからちょっとベース持ってきて!”って言われて、詳しく訳は後から聞いたんですが、僕自身も挑戦したいと思って決めたんですけどね。

A:NarumiのHPPデビューがニューヨークなんですよ。

N:そうです。初ライヴがニューヨークでしたね。

A:もちろんギターからベースへの転向なんで、そんなにベースもうまくないんですよね。ですけど感情表現も上手いし、度胸もあるんで、この人がHPPに入ったら良いだろうなと思ってたんですよね。そしてファースト・アルバムの『VARY』のリリースの時に・・

N:アルバムのクレジットに載せるのにどうするんだってことになって、それではメンバーになりますっていう(笑)ですので『VARY』のリリースと同時くらいにメンバーになりましたね。

A:その後、ドラムが抜けたりもありましたけど、今年の2月1日にサポートのドラムのBatchがメンバーになって今に至るって感じですね。

 

-HPPがAnzaさんにとって始めてのバンドになるんですね?

A:そうですね。バンド形式では初めてですね。ラウドロックというものに触れたのが初めてだったんで。でも実はうちの母が凄くロックが好きでBON JOVIなどいろいろロックが家ではかかっていたので、体には凄く入っていてどこかではそれをやりたかったんですけど、私自身昔はアイドルの活動をしていたんで、そういうしがらみとかは凄くあって、自分を押し殺していた部分はありましたね。私の本質はHPPのヴォーカルとして表現するようなことをしたかったというのが夢だったんですね。それに気付くのが遅かったとは思います。やっとやれたって感じですね。