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FEATURE

KILLSWITCH ENGAGE

2009.06.10UPDATE

KILLSWITCH ENGAGE、バンド史上過去最高にダークで獰猛、荒ぶる疾走感が楽曲に満ち溢れたセルフタイトル・アルバムをリリース!

Writer ムラオカ

 ニューヨーク・ハードコアにIN FLAMESやAT THE GATESなど北欧のメロディック・デスメタルの叙情性とメタリック感を大胆にブレンドしたサウンドでもって、90年代のマサチューセッツのエクストリーム・シーンを牽引していたAFTeRSHOCKとOVERCAST。
 そのAFTeRSHOCKに在籍していたAdam Dutkiewicz(Gt)とOVERCASTに在籍していたMike D’Antonio(Ba)が両バンドの解散を機に結成したバンドがこのKILLSWITCH ENGAGEである。
 2000年に大手インディ・レーベルであるFerret Recordsからデビュー・アルバム『Killswitch Engage』をリリース。2001年にはロードランナーと契約しAdam自らがプロデュースを担当したセカンド・アルバム『Alive Or Just Breathing』を2002年6月にリリース。このアルバムは英米を中心に高い評価を受けKerrang!誌では最高評価の5Kを獲得、またアメリカのCMJチャートにて4週連続1位を獲得した。
彼らの活動は順風満帆のように思えたが、アルバム発売直後の7月にヴォーカルのJesse Leachが突然脱退してしまう。そこでBLOOD HAS BEEN SHEDに在籍していたHoward Jonesを迎え入れた。2004年に発表した『The End Of Heartache』ではビルボード・チャート21位を記録。この後はSLAYERとの全米ツアー、OZZFESTセカンド・ステージのヘッドライナー、MY CHEMICAL ROMANCE等と共にtaste of CHAOS Tourに出演したりと数々のFESやツアーをこなしていった。それからしばしのオフの後、2006年11月にフォース・アルバム『As Daylight Dies』をリリースし、ビルボード・チャート32位を記録。全米ヘッドライン・ツアー、LAMB OF GODとのコ・ヘッドライン・ツアー、WARPED TOURへの参戦など過酷なツアーを続けた。
そして2009年6月、バンド史上初となる外部プロデューサーにRAGE AGAINST THE MACHINE、MASTODON、THE OFFSPRINGなどにも携わっているBrendan O'Brienを迎え、すべてのヘヴィ・ミュージック・ファン待望のフィフス・アルバム『Killswitch Engage』を完成させた。

その最新作『Killswitch Engage』を試聴することができたので、筆者が感じた印象を掻い摘んで書かせていただく。まずはアルバム一曲目である「Never Again」でぶっとんだ。前作までの流れを推し進め、正統派ヘヴィメタルとHowardのクリーン・パートを生かした“歌”を強調したモダンロック的な方向に向かうのではと考えていたが、その予想は良い意味で裏切られた。ダークでヘヴィ、そして疾走感が強調されている曲で初期の時代とはまた異なるアグレッションを放っている。Howardのスクリームも過去最高に荒々しく獰猛だ。「Starting Over」はギター・パートでは80代のオーセンティックな雰囲気を醸し出しつつ、Howardの感情むき出しで性急なスクリームを叩き込む、というコンビネーションが新しい。「The Forgotten」は前半2分は前作の曲調を引き継いでるように感じるが、その後雰囲気がガラッと変わりスラッシュ・メタルを髣髴とさせるザクザク突進するギターに、噛み付くかのごとく凶暴なHowardのシャウトへと加速していく様は鳥肌モノだ。
「Reckoning」や「This Is Goodbye」はHEAVEN SHALL BURN、CALIBANを思わせる細かい邪悪なリフ・ワークが印象的な曲だ。「The Return」はKsE流バラードと言える曲。慟哭のメロディに酔いしれること必須だ。「Take Me Away」や「Save Me」、「Lost」はHowardの朗々としたクリーン・パートが冴え渡ったりと、どちらかというと今までのKsE節を継承した曲だと言える。
シーンをリードし、巨大な存在になるにつれ、良くも悪くもすこしずつソフティケイトされてきた彼らだが、今作では彼らが進めてきたオーセンティックなメタルへの傾倒や叙情性を深化した形で提示しつつも、過去最高にダークで獰猛、荒ぶる疾走感が楽曲に満ち溢れている。まさに壮絶、圧巻と言うほかない。
2000年リリースのファースト・アルバムに続き自らのバンド名を“敢えて”再び、アルバム・タイトルに掲げたのは、彼らのこの作品に対する揺ぎ無い自信の表れだろう。

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