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COLUMN

THE STARBEMS 日高 央の激トーク!! 第伍回

THE STARBEMS 日高 央の激トーク!! 第伍回

日高:LINKIN PARKもSheryl Crowも学校では王道じゃないでしょ? MONGOL800とか......。

田邊:Hi-STANDARDの横山健さんとかですね。高校生のときにバンド・サウンドにハマりましたね。僕、初めてのライヴがBRAHMANだったんですよ。友達のサッカー部の奴が、"おまえ森山直太朗弾いてるし、音楽好きなの?(BRAHMANの)チケット余ってるから、行かない?"って。で、BRAHMANのライヴDVDを借りて、1曲目の「BASIS」を聴いて"ヤバイな"って。

日高:泣きメロあるもんね(笑)。

田邊:はい。で、ライヴで衝撃を受けて、その日に初めてダイブも経験したんですよ。その日にライヴが大好きになりました。それで最初に組んだバンドがツイン・ヴォーカルで、僕はその片割れだったんですよ。

日高:ミクスチャーっぽい音楽?

田邊:そうですね。ミクスチャーぽいけど、やってる音楽はB'zさんだったり、IMPELLITTERIをやったり、めちゃくちゃでした。

日高:はははは。要はギターを弾き倒したかったんだ。

田邊:ひとりギター・ヒーローがいて、半年前までゆずしか弾いてなかった奴がPaul Gilbertに出会い、次の日から真っ白いギターを買ってきて。

日高:熊本っぽい!

田邊:そのバンド名が"セブンスヘヴン"という。

日高:はははは。北欧にいそうなバンド名だね。

-Yngwie Malmsteenの曲名みたいですね(笑)。

日高:ちなみにライヴハウスは出てたの?

田邊:出てました。週1で高校生だけが出るイベントがあって、照明も音響も高校生がやってたんですよ。ほぼ毎週パンパンでいいイベントでしたね。で、1曲目に「Eat The Rich」をやったんですよ。

-AEROSMITHですね。

田邊:"おまえ全部歌ってくれ"と言われて、僕が1曲丸々歌ったんですよ。それでロッテリアの打ち上げで、完全にみんな僕の方に来たんですよ。

日高:"「Eat The Rich」良かったよ!"って?

田邊:はい。それで今のドラムを誘って、BLUE ENCOUNTをやろうと。

日高:とはいえ、最初は音楽性をまとめるのが大変じゃなかった?

田邊:でもみんなライヴが好きで、ギターは175R、SHAKALABBITSが好きで。ベースはバンドなら何でも聴きますみたいなタイプで。曲は完全ジャンルレスで、ラップ、バラード、エモい曲を作って。

日高:日本語、英語、何でもありでね。

田邊:最初はめっちゃ怒られました。"さすがに高校生でもライヴが(音楽性が)見えない"と。でも意外とウケたんですよ。バラードのあとにラップやったりしてました。

日高:ははは、すごいね。

田邊:そのときにヘンな自信がついちゃって。当時のMCが残ってるんですけど、"今の曲、超かっこいいでしょ?"と言っちゃってますからね。

日高:ははははは。

田邊:自ら言っちゃって、いきり方がミスッてるんですよ(笑)。まあ、根拠なき自信はありましたね。で、熊本にいてもしょうがないと思い、ベースは進路選択で抜けて、残った3人で渋谷にある専門学校に入学しました。そこで今のベースと出会ったんですよ。でも専門学校にはあまり行かず、ライヴばかりやってました。

日高:ライヴで叩き上げるしかないもんね。

田邊:最初に出したミニ・アルバムは500枚も売れなくて、社長から"ツアーでガンガン売っていけ"と。バイトしながら、年間150~200本ぐらいライヴやってました。バイトの掛け持ちはヤバかったです。渋谷でカフェ、横浜でガソリンスタンド、それから新宿のショップに行くみたいな。結果、交通費もバカにならなくて。

日高:いい意味で鼻っぱしを折られたんだね。

田邊:"すべてに期待しない"というバンド訓ができました(笑)。A&Rの方もよく来ていたけど、何度も断ってましたね。"ちょっと信じられません"みたいな。1番じゃないと嫌だったんですよ。反骨精神があったので、それから2年ぐらいアルバムを出せなくて。親に金を借りまくって、生活も枯渇して、潤いが何もなかったですね。そういうときはライヴも良くないし、それでベースがやめると言い出してから意識が変わりました。"俺らは大丈夫じゃないんだな"って。

日高:基本、熱くて泣きのライヴをするバンドだもんね? MCも長い印象あるし。

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【日高 央の1枚】

  Neil Young
『After The Gold Rush』
 (1970)

【田邊 駿一の1枚】

  Sheryl Crow
『Sheryl Crow』
 (1996)